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『千編万花』 第十章

『千編万花』の続きです。
それでは続きからどうぞ。

物語が大きく動きます。
 
 
 
『千編万花』 第十章
 


 救世主達の世界と比べると文化水準は低いこの世界にも、救世主達が知る警察に値する組織は存在する。
 元々は国が指揮する直属軍のようなものだったが、現国王がその指揮権を半ば放棄し、独立した機関として存在させていた。その権限は大きく、国の大臣でもその捜査に抗うことは出来ず、不正を行えば即座に失脚するほどだった。ただし、彼ら自身にはそれ以上の厳しい規律が存在し、滅私の精神が求められる。自分というものを徹底的に排除した彼らは、いわば一種の人形であり、仮に自分の利のために行動すればその時点で比喩でなく首が飛ぶ。
 立場こそ奴隷と変わらないが、その権力と扱いに関しては国王を相手にすることと変わりない。彼らはそんな奇妙な存在の機関となっていた。
 もっとも。
 陰謀や不正とほとんど無縁な一般市民にとって、彼らは恐れるものではなく、その誰に対しても公平な対応によって絶大な信頼を獲得していた。そのため彼らの元には様々な相談や報告が行われ、その情報収集力は国の中でも飛び抜けている。
 剣士ライルが救世主アルファとタツミを連れてきたのはそんな機関の一部署だった。その部署は色んなところから寄せられた情報を束ねているいわば情報部だ。
 私立図書館ほどの広さの建物の中に山のように紙が詰め込まれている。
「ここ最近付近で起きた諸問題を纏めた山はこちらになります」
 機械的に案内してくれた職員に礼を言い、ライル達は早速その情報の精査に乗り出した。職員に尋ねないのは、彼らは「情報の保護」を職務としていて「情報の記憶」はそこに含まれていないからだ。彼らは有能ではあるが融通が利かないのだった。
 ちなみに、彼らはあくまで公平な立場にあるため、普段は集めた情報を外部に漏らすことはしない。ただ、救世主に関してはその行動を補助するように国王から直接指示が出されているらしく、救世主達に限り、自由に情報を閲覧することが出来た。ライル達は救世主ではないが、その行動の補助ということで閲覧を許されている。無論、救世主であれ、その補助であれ、閲覧した内容の口外は禁止されている。
 ライルは目の前の空間に積み上げられている書類の山を見て、つい溜息を吐く。
「さすがに量が多いな……」
 ライル達は虎の化け物が去り際に残した『果実酒』というキーワードを調べに来ていた。化け物である虎が『果実酒』を口にするということは、非正規の方法でどこからか調達しているということだ。そういった内容の出来事や事件があれば、そこに虎の居場所などを知る手掛かりになる可能性がある。
 しかし、一口に出来事や事件と言っても、大小様々な事柄を合わせればその量は膨大な物となる。さらに、この全ての情報が集まってきているわけでもないため、本当に虎の情報が掴めるかどうかは怪しいところだった。ライルとしては掴める可能性と掴めない可能性はいずれも五分五分だと考えている。
 タツミは早くもうんざりとした顔をして、目の前にある書類を適当に手にとっては山に戻す、という作業を繰り返していた。体育会系の彼女は頭を使うよりも体を動かす方が性に合っているらしく、今回のような調べ物は不得手の部類だ。
 一方、もう一人の救世主アルファは傍目からもわかる嬉々とした表情で書類の山を見分している。魔可の習得に意欲的だったことからも、頭脳労働の方が得意なことは間違いなく、調べ物も全く苦にはならないようだった。
 そんなアルファの様子を見てか、タツミが小さな声でぼやく。
「デジタル化されてたら調べ物も楽なんだけどなー……」
 そんな彼女のぼやきに、アルファは少し意外そうな顔をした。
「タツミさん、パソコンがお得意だったんですか?」
 彼女の素朴な疑問にタツミの動きが止まる。そして額を掌で抑え、盛大に溜息を吐いた。
「……ごめん。パソコンがあっても無理だったよ……」
 暗にパソコンの操作もダメだと示したタツミに対し、アルファは苦笑を浮かべる。
 救世主同士でしかわからない会話を交わす二人。そんな二人に対し、ライルは声をかける。
「タツミくん、アルファくん。話をするのもいいが、とりあえず作業しながらにしないか? これだけの量、調べるだけでも相当な時間を有しそうだ」
 ちなみにライルはアルファのことも「くん」付けで呼ぶようになっていた。彼女自身に「様付けで呼ばないでください」と言われたからだ。ライルは五十過ぎで、逆にアルファは十歳前後の容姿をしているため、様付けに違和感を覚えたらしい。呼ばれ方に拘りがないのなら、とライルは柔軟に受け止めて呼び方を改めている。
「そうですね。どんどん始めましょう」
「……そうねー。はじめましょうかー」
 意気込みが伝わって来るアルファと、どこか棒読みなタツミ。
 本当に対照的な救世主達だ、とライルは苦笑した。


 それから二日が経った。

 業務に支障が出ない範囲で機関の職員にも手伝ってもらっていたが、その作業は遅々として進まなかった。
 本当に虎に関わる情報があるのかどうか――調べ物を苦にしないアルファはともかく、元々それが苦手なタツミはすでに限界に達していた。一応体裁として書類を読んでいるが、明らかに視線が書類の上を滑っている。彼女は宛がわれた机の上でほとんど突っ伏すようになっており、色々な意味で役に立っていなかった。ライルも肉体労働派であるがゆえに調べる作業は苦になっていたが、そこはまだ年長者の忍耐により通常通りの作業を続けている。タツミと仲が良く、付添いのようにしてこの街まで付いて来ていた魔可使いリリスは、少し体調を崩していまは休息を取っている。なお、魔可戦士ミツル、戦士ロザイ、農夫サーシェフの三人は別の場所にて静養中だ。
 他の面々と打って変わって、嬉々として作業を続けるアルファは活き活きとした様子だった。様々な書類に目を通し、機関の職員に指示を出し、手元の紙に何やら複雑な内容を書きとめている。彼女は生粋の頭脳労働派らしく、山のような書類も、膨大な処理数も、全く苦になっていない様子だった。
 昼食をとったあと、ライルとタツミはすぐに作業に戻らず、一端建物の外に出た。アルファは当然のようにすぐ作業に戻って行った。
 建物の外で、タツミは大きく限界まで身体を伸ばす。
 体を伸ばしていた最中は気持ちの良さそうな声を出していたが、それを止めると同時に溜息を吐き出した。
「あー……まだ続けないといけないのかなぁ……」
 彼女の背に勉強を嫌がる子供のような気配を感じたライルは、苦笑を禁じ得なかった。
「少し、身体を動かさないかね? アルファくんには申し訳ないが、いまの状態では役に立てないだろうからね」
 ライルの提案に、タツミが嬉々として乗っかる。
「いいわね! やっぱり食後の腹ごなしって必要だし……あ、でも直接組手するのは危ないわよね。これでもあたしは救世主だし……」
 はずみでライルを殺してしまいかねない。そういうところで救世主は不便だった。
「では、型のおさらいでもするとしよう。タツミくんの武術と私の有する武術は結構違うからね」
「ライルさんの武術は太極拳っぽいわよね。あたしのは空手だけど」
 二人はしばらくの間そうやって体を動かした。
 そんな二人の元に、機関の職員がやってくる。
「ライル様、タツミ様。アルファ様がお呼びです」
 その伝言を聞いた二人は、顔を見合わせる。
「……早く来て作業を手伝ってことかしら?」
「いや、アルファくんなら私達の手助けなど不要なはず……恐らく、何かしら発見があったのだろう」
 二人は急いでアルファの元へと向かった。

 アルファは部屋の中央に一枚の地図を広げて二人を待っていた。体調が回復したのか、リリスも部屋にいた。
「リリスちゃん、身体の具合は大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫。ありがとうタツミちゃん」
 ライルの目にはまだ顔色が悪いようにも見えたが本人が大丈夫という以上何も言えない。タツミも同じ考えだったのか無理をしないようにだけ言って地図の傍に立つ。
「アルファさん、これは?」
「この付近の地図です。色々調べていた結果、わかったことがありましたのでお二人にもお伝えしておこうかと」
 ついでに、とアルファは続ける。
「改めて状況を整理しておこうかと思いまして。地図を用意してもらいました」 
 ライル達がいる大きな街を中心に据えたその地図には、街の周辺の地形や存在する町や村のことが細かく書かれていた。衛星どころか飛行機の類も存在しないこの世界の文化水準にしては詳細な地図だ。この世界においては飛行機に乗らずとも魔可の応用技術で空に浮かぶことが出来るので、文化水準と食い違う詳細な地図が作成出来るのも当然ではある。
 とはいえ、それよりさらに詳細な地図の存在を知るアルファやタツミにとって、その地図が持つ精密さの本当の価値はわからない。ただ淡々とした調子でアルファはその地図の中心、自分達がいまいる場所を指差した。
「ここが私達のいまいる街です。虎と遭遇したのはこの辺りですね」
 そう言ってアルファは街の南東辺りの蛇行した道を指さす。
 アルファはその位置からさらに南東へと指先をずらした。その付近にはそこそこ大きな町がある。
「ここがタツミさんの以前までいた町……でいいんですよね」
「うん、そうだよ」
 二人はある程度お互いがどの町や村から来たのかということは話していたため、話は順調に進む。
「この辺りでタツミさんが活動していた以上、この町の周辺には虎の巣はないと考えていいでしょう。虎の性格から言って、巣のすぐ傍で救世主が活動し始めたら戦いに来るでしょうから。もっとも、虎が人間側の情報や噂を得ることが出来れば、の話ですけどね。それを差し引いて考えても、タツミさんは付近の魔物騒ぎなどを率先して解決していたのでしょう? もしも虎の巣が近くにあれば出くわしていてもおかしくないはずです」
 そのアルファの予想に、ライルは納得して頷く。
「確かに……。アルファくん。君はどの辺りに虎のアジトがあると思うかね?」
「まだ情報が少ないですから確実なことは言えません。ただ――」
 アルファは地図にあらかじめ書きこまれていた丸印を示す。
「この丸印が虎の化け物の目撃情報があった地点です。これらの位置から考えると……」
 丸印は広い範囲に点在していたが、大きな視野でみると明らかに偏りがあった。街より南に多い。
「この街から南西、あるいは南のどこか、だと思われます。タツミさんのいた街のことも考えると南東が有力でしょうか」
 加えて、とアルファは言う。
「巣から離れた場所で行動するといっても、移動に何十時間もかけるとは思えません。かけても二時間かそこらでしょう」
 そのことから、とアルファは言って地図上に指で線を描く。
「この辺りの距離が考えられます。虎の移動速度にもよりますから確実じゃないですけど」
「……かなり範囲が広いね」
 示された予想を見て、タツミが呟く。アルファは困ったように眉を潜めつつ頷いた。
「そうなんですよね……でも、不確定要素が多すぎてこれ以上どうしようもないんです」
 そもそも、と彼女は溜息を吐く。
「私達の世界と違って、全ての情報がこの街で纏められているわけじゃないですからね……各々の村や町で独自に処理されていたらどうしようもないです」
 さすがに化け物に関するとはっきりわかっていることは情報として広められているが、それ以外の、例えば『果実酒』が盗まれたなどの単体での事件はこの街に報告されていない可能性がある。そうなれば手がかりを手にすること自体が出来なくなるのだ。
「『虎が果実酒を強奪した』という話はないみたいですね。それがあれば簡単だったんですけど」
 アルファは悔しげにそう呟く。

――その直後、急に顔をしかめた。

 あまりに急激な変化だったため、彼女を見ていたタツミは驚く。
「アルファさん?」
「……そうか、そうでした。私は大馬鹿者です」
 いきなりの馬鹿発言にその場にいた全員が戸惑う。
 アルファはかなり苛立った様子で口を開く。
「考えても見てください。あの虎が、果実酒を手に入れようと考えたとして……こっそり盗むと思いますか?」
「んん? それは……。……ッ! なるほど、そうか! 確かに、そうだな」
 ライルは即座にアルファの言いたいことを理解する。タツミはいまだ理解していない顔だ。
「どういうことなの?」
「タツミさん。虎の性格からして、欲しいものは真正面から奪おうとするでしょう。それなら、『虎が店を襲撃した』というような話が出ていないとおかしいんです」
「……あ!」
 化け物に関わる情報は確実に広められる。
 それがないということは、虎は酒のためにどこかを襲うことをしていない。
「で、でも……それなら、どうやって虎は果実酒を……?」
 当然のタツミの疑問に、アルファは応える。
「これはあくまで最悪の想像ですが……虎に協力している『何者か』がいるのだと思います」
「……!」 
 その推測にタツミの背筋が凍る。
「その協力者が、化け物の力を利用しようとしているこちらの世界の人間ならまだしも……もしも、同じ化け物が協力しているのだとすれば」
 それは、一番最悪の事態。
 アルファとタツミ、二人の救世主に対して一匹の虎の化け物、という構図が崩れる。数の有利がなくなる。
 虎と戦う上で、それは確かに最悪の事態と言えた。

 


 ライル達が重大な真実に気付いた頃――街の外の森に、『それ』らはやって来ていた。
 少し高台になっている場所から、五対の目が大きな街を見下ろす。
『さて……行くか』
 低い声が森に響き、他の四つが無言のまま従う。
 凄まじい威圧感を放つ『二つの存在』が街へと迫る。




 最初に異変に気付いたのはタツミだった。
 部屋の窓に駆け寄ると、何も言わずその窓を全開にする。そして身を乗り出した。
「タツミくん? どうした?」
「何か、聞こえた気がして……」
 そう呟いた彼女は、目を閉じて耳を澄ます。窓際にライル達も近づいた。
「これは、騒ぎ声……? 遠すぎてよくわからないけど……」
「どこかで喧嘩でも始まったのかな?」
 リリスがそう予想するが、タツミは首を横に振った。
「ううん。そういう小規模な騒ぎじゃないみたい」
「……確かに、これはちょっと普通じゃない騒ぎみたいですね」
 窓際で耳を澄ませるアルファがタツミに賛同した。タツミは窓枠を飛び越えて地面に降り、そこから跳び上がって屋根の上へと昇る。救世主ならば造作もなく行える行為だった。
 アルファは窓から上を見てタツミに尋ねる。
「どうですか? 何か見えますか?」
「なんだろ。なんか、街の入り口の方で騒ぎになってるみたい。――あ。爆発みたいなのが」
 その言葉と同時に、ライルやリリスにも聞こえる大きさの爆音が響いてくる。さすがに遠いため小さかったが、はっきりと聞こえた。
 街の人達も異常に気付いたのか家の中から出てきたり、窓から顔を覗かせたりと騒ぎが大きくなってくる。
 ライルがどう行動するべきか考えていると、再びタツミが声をあげた。
「ロザイさん達がこっちに向かって来てるわ。道を走って来るのが見えた」
 その言葉と共に、タツミは一端地面に降りてくる。
「わかった。アルファくん、リリスくん、とりあえず外に出よう」
 ライルはそう二人を促し、玄関でタツミと合流する。それと同時に、ロザイ達も合流した。
 ロザイ、ミツル、サーシェフの三人が揃っている。ロザイとミツルは戦闘に備えてか武具を身につけている。
 状況を把握していると思われる三人に対し、ライルが尋ねる。
「何があったのかね?」
 問われた三人を代表して、ロザイが応える。
「それが、何やら不審な三人組が街を襲撃してるらしいんです。かなりのやり手で、いまは何とか街の入り口で食い止めていますが……下手すれば突破される可能性も」
「何が目的なんでしょうか?」
 アルファの問いに、ミツルが首を横に振る。
「わからないわ。何も言わず、突然襲いかかってきたとかで……何を目的としているかは全然わからないの」
 タツミは拳を掌に打ち合わせる。
「あたしが行って、抑えてきましょうか? 強いっていっても、救世主とは比べられないんでしょ?」
 ライルは少し考え、手っ取り早く取り押えるには二人の力を借りた方がいいと結論付ける。
「そうだな。二人を別行動させるわけにもいかないから、全員で――」
 移動しよう、と言いかけたその瞬間。

『それは、困る』

 全員に戦慄が走る。
 声のした方を皆が一斉に見ると、そこに『それ』は悠然と立っていた。
 いつ、どこから入ってきて、いつからそこにいたのか。
 それにもかかわらず、圧倒的な存在感を醸し出すその体躯は三日前に見た時と何ら変わりがない。
「と、虎の、化け物……ッ」
 ミツルが引き攣ったような声をあげる。虎は悠然と近づいて来ていた。そのあまりにも堂々とした立ち居振る舞いに、虎を視界に入れている者達は行動を起こすことが出来ない。悲鳴をあげることも、逃げ惑うことも忘れて、ただそれを見詰める。
 虎は十数メートル離れた位置で脚を止め、救世主の二人を見据えた。
『せっかくお前達と一対一でやり合うために、あいつらを暴れさせているんだからな。邪魔な奴らだけそっちに行け』
 ライルはその虎の言葉から、暴れている三人組というのが彼の差し金だということを理解する。
「……手紙でも送ってくれれば、簡単に一対一で戦えたんですけどね」
 硬い声でアルファが言う。その彼女の言葉に、虎はその手があったか、と素直に呟く。
『……まあいいか。来ちまったもんはしかたねえ。さっさとやろうぜ、救世主』
 あっさり戦闘を挑んでくる虎に対し、アルファは顔をしかめる。その表情の意味がライルにはよくわかった。
 手紙で呼び出されれば、そのために準備が出来る。単純な戦闘で虎に勝つことは出来ない、と彼女は考えているらしく、策を練る時間が欲しかったようだ。しかし来てしまった以上はどうしようもない。幸い数の上ではまだ救世主側に有利な状況だ。二人掛かりでかかれば、虎の化け物を打倒し得るかもしれない。
 タツミとアルファが視線を交わす。虎に対する作戦はすでに話し合い済みなので、拳を掌に打ち合わせながらタツミが一歩前に出る。まずはタツミが虎の相手をし、ある程度消耗したところで二人掛かりになる目論見だった。
「……ライルさん、他の三人を連れて街の入り口の方に行ってください。虎は私とタツミさんでどうにかします」
 アルファが小声でライルに呼び掛ける。
「しかし……」
 ライルは少し躊躇った。襲撃されている入口の方も確かに心配ではあるが、化け物が相手でもない限りは街の防衛力で十分止められるだろう。それを考えれば万が一を考えて少なくとも自分だけは残っているべきとも思える。
「行ってください。……ミツルさんがまずいです」
 アルファはライルにしか聞こえないように囁く。ライルはその言葉を受けて、ようやくミツルの様子がおかしいことに気付いた。
 考えてみれば当たり前のことだが、ミツルにとって虎は怨敵である。いまにも駆け出して切りかかりそうな、そんな様子だ。だが切りかかったところで結果は見えている。それを自覚しているために、ミツルは衝動と理性の板挟み状態になっている。
「……わかった」
 ライルはアルファの言葉が正しいことを認めるしかない。
「ロザイ、ミツル、サーシェフくん、リリスくん。入口の方へ助けにいくぞ」
「……ええ」
 ミツルの心情を慮って『逃げる』のではなく『助けに行く』と表現した。その甲斐あって、ミツルは悔しげな顔はしつつも、この場は救世主達に任せることにしたようだ。
「二人とも、無理はするな」
「ええ。わかっています、ライルさん」
「努力はしてみるわ」
 二人の言葉を背に、ライル達が移動する――そのすぐ後。
 ライルは走り出していた足を止め、背後を振り返る。ロザイがそのライルに反応した。
「ライル先生? どうしたんです?」
「ロザイ、お前は他の三人と一緒に行け――嫌な予感がする」
 言うだけいうと、ライルは走ってタツミとアルファの元に戻る。
「ライル先生!」
 ロザイはそう叫んだが、追いかけてくることはなかった。
 戻りだしていたライルは、タツミ達がいた場所のすぐ近くの建物の上に、奇妙な人影を見た。
「あれは……!」
 剣を持ったその人影の顔は見えなかった。その人物は、龍を象った仮面が被っていたからだ。
「くっ……! まさか、『龍』の化け物が虎に合流したのか!?」
 屋根からその人物が飛び降りる。ライルは急いでタツミ達のところへ向かう。

 そこでは救世主と化け物の激しい戦いが繰り広げられていた。
 暴風と化した虎が駆け抜けるのを、辛うじてタツミが避ける。
『はっ! その程度か、救世主!』
「くっ、さすがに……速いっ!」
 いまだ決定打は当たっていないのか、傷は負っていないものの、その頬には一筋の冷や汗が流れている。
 脇で二人の決着がつくまで待っているはずのアルファもまた、仮面を被った存在と向かい合っていた。
「この人……一体……!?」
『…………』
 凄まじい速度で振るう剣を、アルファは大きく距離を開けることで対処していた。
 ライルはその状況を見て、どうするべきか考える。
(数の有利は無くなっている……このままでは、最悪救世主が二人ともやられてしまう……!)
 いまのところ無事でいる救世主はタツミとアルファしかいない。もしもその二人がやられてしまえば、化け物達の行動を遮るものはいなくなる。
 それだけは絶対に避けなければならなかった。
(仕方ない……!)
 ライルは得意ではない魔可を使用する。得意ではないと言っても、ある程度の魔可は扱うことが出来た。
 風を巻き起こし、砂埃を発生させる。それを操作してタツミと虎の化け物の戦いに水を差した。
『ああ!? なんだこれは!?』
「ライルさん!?」
 平等に視界が遮られたことで、互いに一端戦いを止める。
 ライルはその隙にタツミと虎の化け物の間に割り込んだ。
「タツミくん! 君はアルファくんと協力してあの化け物を倒してくれ! 虎は私がやる!」
 あらかじめタツミに虎を倒す術を話しておいた甲斐があり、タツミは即座にアルファの方の戦いへ向かった。
(さて……では、始めるか)
 ライルは虎と一対一で向かい合う。
 虎はかなり不満げな顔をしていた。
『何のつもりだ。こっちの世界の人間風情が、俺と勝負になると思っているのか?』
「……逆に問おう」
 ライルはゆっくりと円を描くようにして立ち位置を整える。虎を倒すために。
 その時間を稼ぐために、口を開く。
『なに?』
「お前様の力が真実化け物だということは知っておる」
 不審に思われないように、慎重に。ゆっくりと。
「だが――」
 ライルはぴたりと足を止めた。

「それだけで、どうして私に勝てると思うのかね?」

 ライルは剣を構えた。その構えには一部の乱れもない。
 虎は一瞬その身に緊張を走らせ――すぐにライルのことを鼻で笑う。
『はっ、下らん――お前のような達人ともそれなりにやりあったことはあるがな。所詮はこちらの世界の人間。基礎能力が違いすぎる』
 牙を剥き出しにして、虎は唸る。
『なぜ勝てると思うか? 決まっている。子供が大人に勝てるとでも思うのか? いや、力の差としてはもっとだ。蟻がどうして象に勝てる?』
 怒りを込め、虎が吼える。
『俺と救世主の戦いの邪魔した報い、受けるがいい!』
 怒号は大気を震わせてライルの身体に届いた。それでもライルは動じない。ただ剣を真っ直ぐに構えている。
 虎が跳躍の姿勢を見せた。その太い脚が砕かんばかりに大地を踏みしめ、虎の巨躯が信じられない速度でライルに向かって――

 虎が、ライルの頭上を飛んでいた。

 もちろんライルが投げ飛ばした訳ではない。いかに剣術を極めたライルでも、自分よりも遥かに強い怪物の突進をいなすどころか真上に向けて吹き飛ばすなど、出来ることではない。
 虎は跳躍した直後、ライルを切り裂くために前に出した前足を振り下ろし、強引に突撃の軌道を修正して真上に跳んだのだ。前に跳び出した勢いと真上に跳ぶ勢いが合わさって、虎の体躯は斜め上へと跳んだ。すなわち、ライルの頭上へと。強引な方法で空に跳んだ虎は体勢を大きく崩していたが、再び地面に落下するまでの間に身体を捻って体勢を立て直し、危なげなく着地する。
 一方ライルは眉ひとつ動かさず、虎が地面に降りるまでの間に身体の向きを変え、虎と真正面から向きあう形を再び作っていた。虎は四本足で着地しているため、跳びかかろうと思えば即座に跳びかかれるはずだったが、虎はライルに向かってこない。
 表情を変えぬまま、ライルは心中で舌打ちを落とす。
(まさか、ここまで勘の良い奴だったとは……)
 ライルの策戦では最初の一撃が肝心だった。最初の一撃で仕留められるかどうかが肝だったのだ。そして何事もなければその一撃で確かに仕留められるはずだった。しかし虎はライルの予想を越えた回避力を見せ、『最初の一撃』を避けてしまった。放っていないのだから正確には避けたというのは正しくないが、ライルの目論見が外されたのは確かだった。
(これは……いよいよ、覚悟を決めねばならんな)
 ライルは静かに息を吐く。僅かに揺れていた剣先が、ぴたりと虎の目を射抜く。
 相手が自分よりも遥かに強いのならば――その強さを利用してやればいい。それがライルの編み出した化け物殺しの方法だった。実際、策自体はシンプルなものだ。跳びかかって来る虎に向かって、全身全霊を込めた剣先を突き出す。それだけのこと。ただし狙う場所はどこでもいいというわけではない。理想は目。あるいは口の中。生物の中で最も脆い部分を狙う。虎自身が向かってくる力とライルが突き出す力、それを脆い部分に集約させればいかに化け物が強靭な肉体を持っていようとも貫けるはずだった。しかも目を狙えばそれは必殺の攻撃となる。化け物とはいえ頭を貫かれて生きていける訳はない。
 もっともこの策戦が通じるのは、虎のように牙や爪などの直接的な攻撃を好み、しかも真正面から真っ直ぐ跳びかかって来ることがわかる相手の場合のみで、ほとんどの化け物には通じない手だろう。さらに言うなら高速で向かってくる虎の迫力に耐えられるほどに胆力があり、向かってくる虎の眼球を正確に狙えるほどの技術力を持っている者にしか取れない策だ。
 つまり。
 対象が『直接的な攻撃を好む豪胆な性格の虎』で、そして実行するのが『剣の達人であるライル』の場合にしか成り立たない、『化け物の攻略法』だった。
 それは実際に成功させることが出来れば普通の人間でも化け物を打倒し得る手段だったのだが――虎の化け物の勘働きはライルの想像を越えていた。本能で警戒するべき相手だと察したのか、虎は再度跳びかかって来なかった。ライルの出方を窺うように、ゆっくりと円を描きながらライルの周囲を巡る。距離を取ってライルの動きを警戒している。
 ライルにとって、それは不都合なことだった。出来れば虎には無謀に何度も突撃して欲しかったのだ。虎が単なる考えなしの戦闘狂というわけではないということをライルは実感として捉える。一瞬でライルの目論見を看破されたこと、加えてその後も闇雲に突撃してくることなく慎重になったこと。それらの事実は虎が一筋縄ではいかない相手であることをライルに嫌でも実感させる。
「……来ないのかね?」
 その場から動かないまま、ライルは虎に向けて尋ねる。その問いを聞いた虎は僅かに余裕を取り戻したのか、口の端に笑みを浮かべる。
『やはりか。俺から跳び込まなければお前は攻撃を仕掛けてこな――』
 正しい推測を虎が口にした刹那、ライルはそれを遮って声を放つ。
「来ないのなら、こちらから行こう」
 それは完全に虎の予想外の言葉だった。生まれた僅かな隙を見逃さず、ライルは密かに込めていた足の力を解放し、わずか一歩で虎の目前まで跳ぶ。自分の攻撃に対するカウンターで初めてライルの反撃が成立すると思っていた虎は完全に意表を突かれた。そしてその硬直の間に、ライルは完璧に狙いを定めており、躊躇いなく剣を突き出す。その切っ先は真っ直ぐ虎の眼球を狙っていた。
 虎は迫りくる切っ先を、身体全体を使って顔を逸らし、避ける。虎は頭の片隅ではその一撃が致命傷にはならないであろうことを理解していた。いくら身体のもっとも柔らかい場所を狙ったところで、この世界の人間と化け物との間ではそれくらいの力の差がある。
 しかし、例えば絶対に安全であるはずの目薬をさす時でさえ思わず瞼を閉じてしまうように、いくら大丈夫だとわかっていても本能的に避けてしまう。それはいかに訓練された軍人や鍛え上げられた戦士でも同じことだ。ライルが知る由もないことではあるが、虎は元々いた世界では――異常な衝動は持っていても――単なる一般人。目に向かって迫る尖ったものがあれば思わず避けてしまうのは仕方のないことだった。しかもライルは攻撃の手を休めない。避けたその先にまた切っ先が迫る。それを何とか避けるとまた避けた先に切っ先が――というように虎は後退しながらライルの猛攻を避けるのが精一杯だった。
 時々虎は反撃しようとはしているのだか、それを試みる度にライルから鋭い突きが放たれるために、前足も牙も相手を抉るために使えない。前足は身体を移動させるために、牙はライルの鋭い突きを逸らすために、それぞれ使うので忙しい。
『ぐっ……この……っ、野郎――!』
 虎が激昂した直後、一際鋭い突きが放たれる。
 首を傾けることで虎はその突きを逸らした。しかし虎の体勢は完全に崩れていて、直接ライルに反撃は出来ない。そこで虎は地面を吸い上げるようにして前足を振るい、抉った地面をライルに向かって飛ばす。
 ライルはそれを紙一重でかわし、さらに追撃を放つ。だが、虎が完全にバランスを崩して地面を転がってしまったため、追撃を断念せざるを得なかった。
 救世主や化け物とこちらの世界の人間とでは差がありすぎる。目などの脆い部分を狙うならまだしも、それ以外の皮膚などには傷を付けることさえ出来ない。
 そのため、ライルは虎が地面を転がるという最大の隙を見せても切りかかれなかった。転がっている状態の目を狙うのはいかにライルでも無理だからだ。下手に切りかかって刃が通らないことを知られるのはまずい――という判断だ。
 ライルと虎は再び距離を開けて睨み合う。
『……やってくれるぜ』
「よく避けられるものだ。避けるのが余程上手いと見える」
 ライルは軽く虎を挑発する。そうすることで冷静な判断力を奪う目論見があった。だが、虎はその豪胆な性格に反して対応は慎重だった。
 激昂して襲いかかることなく、冷静にライルの隙を窺っている。
『お前、名前は?』
 静かな問いかけ。ライルは少しだけ沈黙し、口を開いた。
「ライル、だ」
 虎は口角を上げて笑みを形作る。
『なるほど。覚えておこう』
 それは彼にとって、最大の賛辞に等しかったのだろう。その表情から笑みが消え、虎が本当の本気になったことをライルは知った。
 虎の四肢に力が込められる。僅かな筋肉の動きや雰囲気の変質から、それを理解したライルもまた構えに力が入る。突撃してくるならそれに合わせて剣を突き出すために。
 果たして、虎は突撃をかけてきた。ライルは即座に剣先の修正をし――咄嗟に真横へと跳ぶ。ライルのすぐ傍を虎の体躯がかすめ、その勢いに煽られたライルの身体が大きく傾く。素早くステップを刻んで体勢を立て直した。虎は地面を抉りながら止まり、再び笑う。
『やはりな。お前の攻撃は容易く防げるわけだ』
「…………」
 自信満々な虎の言葉に、ライルは答えなかった。その腕を一筋の血が流れる。咄嗟に横に跳んでかわしたつもりだったが、その端がライルの腕を掠めていたようだ。まともに食らっていれば腕が吹き飛んでいただろう。ほんの少し掠めただけなのにライルの腕全体に痺れが走っていた。
(深い傷ではない、が……)
 数十秒は動きの精度が落ちてしまう。
 確かな傷を与えられていた。虎が得意げに言葉を紡ぐ。
『よく避けられたものだ。中々の反射神経だな』
 伊達に歳は取っていないか、と虎は呟く。
『だが、次は外さん。目を瞑って攻撃を放つコツも掴んだ』
 ライルは苛立たしげに表情を歪める。虎は突撃をかけて来る時、目を瞑っていたのだ。瞼という防護に覆われた目はライルの剣では貫けず、弱点とならない。もちろん目を瞑ってしまえば正確な攻撃は出来なくなり、自らの攻撃を避けられてしまう可能性は高くなるが、一方的に攻撃が出来るとあればその不利を背負う価値がある。
『次で、終わりだ』
 その虎の言葉にも、ライルは焦りを滲ませなかった。
 ただ静かに虎に向かって問う。
「なあ、お前様。その前に、一つ聞かせてくれ。お前様は……どうして戦う?」
 鈍った動きのまま虎とやりあうのを避けるべく、ライルは口を使って時間を稼ぐ。時間稼ぎも目的の内だが、実際その内容は気になっていた内容である。
 化け物としてこの世界に召喚された化け物達が一体何のつもりで戦っているのか。それは知っておきたいことの一つだった。
 虎は、ライルの時間稼ぎという目的に気付いているのか、あるいは気付いていて乗っているのか、どちらとも取れる態度で応える。
『命を削り合う、血沸き肉踊る戦いがしたいから』
 獰猛に牙を剥き出しにして、言う。
『――それだけだ』
 ライルはその答えを聴き、妙に清々しい気分になった。
「そうか。……それなら、もはや言葉は無用だな」
 説得は無意味だ。
 善も悪もなく、ただ戦いたいから戦う存在。
 他の化け物達も全てそうだというわけではないだろうが、この虎に限ってはそれだけが真実なのだろう。
 だからこそ、剣士であるライルは腹を括ることが出来た。
 戦うことでしか、この虎を止める方法はないとわかったゆえに。
「剣士ライル――おして参る」
 いままで以上の気迫と集中力で構えた切っ先に意識を集中させる。
 虎はそんなライルの気迫をむしろ不思議な気持ちで受け止めているようだった。
『……なぜだ? お前、目を瞑った俺に、その戦法は無駄だということがわからないわけじゃあるまい?』
 やぶれかぶれの攻撃なら興ざめだ、と虎は言外に言っていた。
 ライルはそんな虎の言葉を笑い飛ばす。
「ははっ――これは随分と舐められたものだ。お前様よ。剣士をあまり見くびるなよ」
 彼の剣先はしっかと虎の目を刺していた。決してはったりではない威圧感がほとばしる。
「確かに、瞼を閉じられてしまえば致命傷を与え得る目は隠れてしまう――だがな。何も瞼は、全ての隙間が埋まるわけではなかろう?」
『なんだと?』
「刃が滑り込む隙間があれば、十分だと言っているのだよ」
 その言葉に、虎は目を見開く。一拍おいて、大口を開けて大笑いした。
『はははっ! 瞼の隙間を狙うつもりか!? これは驚いた! そんなことが出来ると思っているのか? 止まっているわけではないのだぞ? 高速で迫る俺の、瞼の僅かな隙間を狙う? そんなことをやってのけると、本気で言っているのか?』
 大笑いされても仕方ない。それはそれだけ不可能に近い、無謀極まりない方法だった。
 だが、ライルは一切の躊躇なく頷いた。
「出来る」
 虎の笑い声が止む。
 もう一度言うぞ、とライルは続けた。
「若造が――剣士を見くびるな」
 虎は笑みを完全に消した。ライルの言葉の響きから、冗談でも酔狂でも賭けでもないことを感じ取ったからだ。
『いいだろう』
 虎の体躯が膨張する。否、物理的には変わっていない。だが、その全身に込められた力は、虎の体躯を何倍にも大きく感じさせていた。
『俺も全力で行ってやる。剣士。俺を倒せるものなら倒してみろ!』
 もしもの話。
 虎がライルの誘いに乗らず、差があり過ぎる能力値を活かして攻撃を仕掛けていれば、虎はライルを安全に倒すことが出来ただろう。いくらライルが目を狙っても、虎自身が飛び込んでくる勢いを利用できなければ致命傷にはなりえない。それだけの差が化け物とこの世界の人間とでは存在する。
 だが、ライルは上手く虎のプライドや嗜好を刺激し、真正面からの真っ向勝負に持ち込んだ。負けの目も広がったが、通常では決してあり得なかった勝ちの目を生み出すことに成功したのだ。
 それは化け物達と戦う宿命を背負う救世主にも出来ない、何十年も剣士として戦ってきたライルにしか出来ない、ただ一つの道だ。
 剣士たる存在として、ライルはその生き様を持って、ひと振りの剣で道を切り開いた。
 構えたライルと、地を踏みしめる虎。
 二人の間で、激しい死線がぶつかり合う。
 虎の体躯が沈む。跳躍の前兆。
 ライルの身体が捻られる。突きの前兆。

 二つの存在は同時に動き――そして、決着は訪れた。

 仮定の話に意味はない。
 いまより約三十五年程若く、ライルが肉体的に絶頂にあった時ならば追い切れたかもしれない。
 ほんのわずかな隙間を狙うには、反射神経とそれについて来れる肉体が必要だった。
 そういう意味で、ライルの肉体は老い過ぎていた。
 だが同時に。
 いまのライルの剣ほど熟練した冴えがなければ、結局彼の剣は虎の動きを追うことが出来なかっただろう。
 少なくとも、三十五年前の、まだ若造だったライルの剣にそこまでの冴えはなかった。
 だから。
 ライルの敗北は、どうあっても決まっていたのかもしれない。
 あとほんの数ミリだった。ライルの剣の切っ先は、虎の左の上瞼に当たった。あと数ミリ追い切れていれば、瞼の間に滑り込んだ剣は虎の眼球を貫き、そのまま脳髄を抉っていたはずだった。ほんの数ミリずれたことで、剣は瞼に弾かれ、折れた。
 さらに攻撃のために完全に前のめりになっていたライルは、先ほどのように虎の攻撃を避けることが出来ず、まともにその前足の一撃を体に受けた。いかにライルが身体を鍛えていようと、そんなことは何の意味もなく――まるで紙きれのようにライルの身体は弾けた。
 虎の前足が当たった右の脇腹は、背骨に達するほどの深さで大きく抉られた。あまりの速度と勢いで抉られたためか、中にある臓物は一つも零れず、血すら出ない。
 だがそれは確実に致命傷だった。
 ライルはぽつりと呟く。
「無念、だ……」
『――見事だ、剣士』
 背を向けたまま、虎が彼に声をかけた。
 ライルの身体が傾ぎ、地面へと倒れて行く。
『お前が救世主でなくてよかった』
 それは虎の本心だったのだろう。
『救世主だったなら、俺は成す術もなく殺されていただろう』
 虎の言葉は、皮肉ではなく、純粋な賛辞として、ライルに伝わった。
『救世主でもないのに、俺の身体に傷を付けるとはな――敵ながら、あっぱれだ』
 よく見ると、ライルの剣が炸裂した虎の瞼からは血が流れていた。それだけではなく、強い圧迫を与えたことで虎の左目は実は見えにくくなっていた。時をおけば回復してしまう程度の、ささやかな傷ではあったが、救世主でもない者が化け物が付けた負傷としてはあり得ないくらいの『傷』だった。
 ライルは苦笑を浮かべ、地面に倒れ込む。その衝撃で抉られたわき腹から血と臓物が一斉に流れ出した。
 流れ出したライルの血が、地面を赤く染めて行く。ライルの意識が遠のく。
(すまない……タツミくん、アルファくん……ロザイ、ミツル……私はどうやら、ここまでのようだ)
 流れて行く血に比例するように、視界が暗く、霞んで来た。
 その視界の遠くに、タツミとアルファの姿が映る。どちらも切羽詰まった顔をして、近づいて来ているようだ。
(ああ……すまない……虎を倒すことが出来なかった……)
 まだ若い救世主達。
 彼女達の負担を軽減するべく化け物に挑んだが、その成果は無きに等しい。
(これが何十年も歩んで来た剣の道の果てか……少々、心残りが多すぎるな)
 かつての弟子たちにはまだ不安が残る。もう少し、若者たちの今後を見守っていたかった。
 そんなライルの想いも虚しく。
 彼の意識が闇に沈む。二度と浮かびあがることはない。

 剣士ライル。
 虎との激闘の末――死亡。
 
 
 
 
『千編万花』 第十一章 前半に続く
 
 
 
 

Comment

No.659 / ごんべー [#-] No Title

『化け物を倒すのはいつだって人間』・・・とはなりませんでしたか。
アンデルセン神父や愚地独歩みたいな「年くった努力の武人」が「存在自体がチート」に挑む構図は好きなのですが、いかんせん敗北と死亡率が激高でしかも負けた方がむしろ輝くのが哀しいというか何というか。

・・・しかも敵を成長させちゃったのが頭が痛い。


お疲れ様でした、次も期待しています。

2012-04/07 23:57 (Sat)

No.660 / 名無しさん [#-] No Title

これはアツい

2012-04/08 01:16 (Sun)

No.663 / [#] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2012-04/10 09:31 (Tue)

No.664 / 光ノ影 [#-] Re: No Title

ごんべーさん、いつも感想ありがとうございます。
返事が遅れて申し訳ありません。

> 『化け物を倒すのは~
残念ながら、化け物には一歩及ばなかったようです。

> アンデルセン神父や愚地独歩みたいな~
私も大好きなシチュエーションでして、努力で存在チートをぶっ倒すキャラクターは大好きです。
ライルに関しても結構お気に入りのキャラで、ここで散らせるのは惜しいとは思ったんですが……普通の人間と化け物の差を考えると、ライルでも勝てないというのが結果でした。
いつかそういう努力型の主人公(仲間)が活躍する話も書いてみたいものです。

> ・・・しかも敵を成長させちゃったのが頭が痛い。
虎はライルとの戦いを通して、きっとこの世界の者も捨てたものではないと感じたことでしょう。
それが成長に繋がるか、はたまたさらなる暴走に繋がるかは……今後の物語の展開を見守っていただきたいと思います。

> お疲れ様でした、次も期待しています。
ありがとうございます。
期待に応えられるように頑張ります!

2012-04/10 21:25 (Tue)

No.665 / 光ノ影 [#-] Re: No Title

> これはアツい
そう言っていただけると嬉しいです。
今回の話はとにかく盛り上がるように意識して書きました。
私の力が今一つ足りていない気もしますが……そう言っていただけると、少しは思い通りに書けていたのだと自身に繋がります。

2012-04/10 21:26 (Tue)

No.668 / 名無しさん [#-] No Title

>それが成長に繋がるか
戦いを楽しめるように熟すまで待つ、ということも考えられるのですね

追伸:「プロテクターの隙間」という単語が頭をよぎったり

2012-04/11 11:49 (Wed)

No.670 / 光ノ影 [#-] Re: No Title

>戦いを楽しめるように~
虎の性格上、そっちの方を選ぶ可能性が極めて高いです。
戦いを楽しみたいというのが彼の望みですから……。

>追伸:「プロテクターの隙間」という単語が頭をよぎったり
がちがちの装甲を誇る防御力重視の敵を倒すときにそういう感じの攻略法がありますよね。ライルが取った作戦もそれに似たような作戦です。脆い部分を狙う、なんてのは使い古された手で、ぶったけ虎がちょっと捻った攻撃をすればそれだけで簡単に勝ててしまう戦いでした。
ライルが善戦出来たのは虎が勝負に馬鹿正直に乗ったからなのでしょう。

それでは、続きを頑張って書きます!

2012-04/14 22:31 (Sat)

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